光石研「家族もありながら仕事がなかった」 鮮烈なデビューを飾るも現場に立てない日々…ある現場での“学び”が救ってくれた

2025.5.19 12:20
光石研の写真

俳優として活躍する光石研(63)が、17日放送の『Google Pixel presents ANOTHER SKY(アナザースカイ)』に出演。俳優としての長いキャリアを振り返り、自身にとってターニングポイントとなった出来事について語った。

デビューは17歳の頃。高校生のときにオーディションに参加し、役者の世界に足を踏み込んだ光石。今では名バイプレーヤーとして有名な彼だが、初めての現場となった映画『博多っ子純情』(1978年)では、主演を務め華々しい門出となった。自分には役者の道しかない、そう思って突き進んできた約半世紀。だが、仕事が全くない、大きな困難にも直面した時期もあったと語り始めた。

「30代のあたまで、家族もありながら仕事がなかった」。そう言ってつらい時期を振り返り、少ない仕事を絶やさないために、えり好みはせず何でも演じた。「とにかく目の前のことしか考えてなかったです。いただいている仕事を一生懸命やるっていう。小さい役をいっぱいやっていたから、格好悪いですけど何冊も台本を抱えて、あしたはこっち、あさってはここで、とかっていうやり方でやっていた」といい、「大きな役が欲しいとか、主役がやりたいとか、そういうことじゃないんですよね。仕事がなくなる怖さみたいなのが勝っていた」と、まず生きるために演じていたという。

そんな状況にあった光石にとっての転換期となったのは、30代後半に差しかかった頃。自分と同世代の監督たちが映画を撮り始めたことが変化をもたらしたという。「僕らの同世代、ちょっと下ですけど、青山真治さんとか、岩井俊二さんとか、ああいう方が撮り始めるんですよね。そこからちょっとずつ呼ばれるようになったんです。世代が近いもんですから、ものすごく演技の許容範囲が広くなったというか、もうちょっと自由度が増すというか」と、以前よりも自分らしく演じることができる現場が増えたと話す。特に青山監督の現場では、自身の役者としての方向性を決める大事な気付きも得た。

光石研の写真

「映画を撮るんだ、僕らのお芝居を撮るわけじゃない。光石研を撮るわけじゃない、映画を撮るんだ。この人たちは映画を撮っているんだっていうのを、感じさせてくれたんですよね。映画の中での撮影部、照明部、録音部、制作部の中のひとつ、俳優部というパートなんだ、っていう意識を持ち始めた」としみじみ語る。さらに「それを知ったときに、今までこう、いい芝居しようとか、目立とうとか、そういうものが気恥ずかしくなっちゃって、こんなこと今気づいたのかって思いましたけどね。でもそれが心地よくて、スタッフと一緒に、ある一つの作品、映画を完成させるんだっていう気持ちがどんどん強くなった」と続けた。

俳優部として他のスタッフとチームで仕事をする、そのことを改めて意識するようになると、オファーも格段に増え始めた。そして脇役を演じる楽しさも知ることができた。「多分俳優さんの中で主演をやりたくない俳優さんなんていないと思うんですよね。もちろん僕もそうなんですけど。ただ、主演がやりたいために俳優をやってるんじゃない」といい、「脇でちょっとやってる方が好きっていうか、僕に似合っているというか。みんながA面良いって言ってるけど、いやいやB面だから見たいな。こっちの方がカッコいいよとか。なんかちょっとそういうところあったんですよね」と楽しそうに語る。

そうして今や日本映画・ドラマで欠かすことのできない名バイプレーヤーとなった光石。しかし一度仕事が全くない時期を経験したからこそ、今でも仕事をもらえるありがたさは忘れていないという。「呼んでもらえるのはすごくうれしい。だからそのために一応心積もりっていうか、素振りはしておかないとな、という思いはありますね」と話す。

さらに「いつ呼ばれて打席に立てって言われるか分かんないんで、とりあえずバックネット裏でちょっと振っておくか、みたいな。その時代の変化球に対応できるようにしておかないと」と意気込んだ。

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写真提供:(C)日テレ

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