菅原茉椰、アソビシステム所属のソロタレントで新章へ──「宮城で歩けないくらいのタレントになりたい!」
SKE48として10年間、名古屋を拠点に活動してきた菅原茉椰(すがわら・まや)さんが、今年8月にグループを卒業。そして新たに所属するのは話題の「アソビシステム」。きゃりーぱみゅぱみゅやFRUITS ZIPPERなど、個性派アーティストが多く所属するプロダクションだ。
「みんなに“どこのアイドルグループに入るの?”って聞かれるんです(笑)」と笑う菅原。だが、彼女の目指す次のステージは“ソロタレント”。SKE48でアイドルとしての10年を「やりきった」と言い切る潔さと、生まれ故郷・宮城への深い愛情を胸に、新しい人生が始まっている。
◆「アイドルはやりきった」──次の夢へ背中を押してくれたSKE48の仲間たち
「SKE48でできることは全部やったなって思ったんです。自分のアイドル活動が10周年だった今年、SKE48も17周年の今年に新チームが発足することになり、節目が重なりました。タイミングが重なって、グループが新しく進化するタイミング、自分も勇気をもって次の挑戦をしたいと強く思うようになって」
卒業を決めた理由をそう語る菅原。卒業後の進路を決めるにあたっても、SKE48の仲間やスタッフのサポートが大きかったという。
「“違う世界を見てみるのもいいんじゃない?”って親身になって。卒業した後も“何かあったらいつでも話聞くよ”って言ってくれて、すごくありがたかったです」

◆「裏方をやってみたかった」から「表に立つ喜び」へ──転機は“家族の笑顔”
実は一度、芸能界を“裏側”から支える道も考えていたという。
「マネージャーなど、制作の裏方をしてみたい気持ちもあったんです。高校1年生からずっとアイドルをやってきて社会経験が少なかったので、社会人をしてみたいなって」
そんな時、彼女の気持ちを変えたのは、地元・宮城での仕事に喜ぶ両親の姿だった。
「10年間親元を離れていたので、久しぶりに地元・宮城でお仕事をしたら、両親が本当に喜んでくれて。表に出る仕事を喜んでくれる、それが一番の親孝行かもしれないなと思って」
名古屋でのアイドル時代、あまりかなえられなかった「宮城での仕事」を、東京と宮城と二拠点で、タレントとして実現したい。彼女の挑戦は、家族の笑顔から再び始まった。

◆東京×宮城の2拠点生活がスタート!
SKE48卒業後、しばらくたって、最近ようやく東京へ引っ越してきたという。
「名古屋では、フードコートでスイーツを作ったり、レジを打ったりのアルバイトもしました!社会経験をちゃんとしたくて。上京する予定で長くは続けられない、と面接で正直に言って、それでも雇っていただけました。おかげですごく勉強になりました」
東京で暮らしながら、ふるさと宮城にも頻繁に帰る“二拠点生活”。
「東京と宮城の二拠点で活動していきたいんです。東京でも宮城でも活躍して、目標は、宮城を歩けないくらいのタレントになりたい。今は全然歩けるので、マスクなしでも余裕です。“菅原茉椰ちゃんだ!”って言われるくらいの人になりたいですね」
東京に引っ越してきてまだ間がなく、“観光客モード”がちょっと抜けないという菅原。
「東京って本当にすごいんですよ!この前、プライベートで“はとバス”に乗ったんです(笑)夜のツアーで、レインボーブリッジを下から通って、上からも渡って。“こんな風になってるんだ!”って感動しちゃって。ガイドさんが説明してくれるんですけど、“へぇ~!”って全部が新鮮で。観光バスから見た夜景のキラキラ感に、“ここで生きていくんだ”って改めて実感しました」。

◆宮城愛が止まらない──「せり鍋、宮城サーモン、御釜」
地元・宮城の話になると、菅原のテンションはさらに上がる。
「宮城は牛タンはもちろんなんですけど、他にもオススメがたくさんあって、宮城サーモン、本当においしいんです!脂が乗ってて最高で。あと冬は“せり鍋”!根っこまで食べるんですけど、ちょっと苦味があってそれがまた良くて!海産物も美味しいんですよ。松島とか塩釜とか、気仙沼も海産物が豊富!」
「私はまだ行ったことがないんですけど、宮城県・蔵王にある「御釜(おかま)」と呼ばれる火口湖があって、噴火した跡に水が溜まってできた大きな沼なんですけど、写真で見ると神秘的で、水の色が季節や天気で変わるんですよ!“いつか行きたい”って思ってる場所なんです。直接見れたら、“宮城ってこんなに素晴らしいところがたくさんなんだ”って改めて感じられると思う」
インタビュー中、地元・宮城の話になると、菅原の口調もどこか柔らかくなる。
「私、宮城弁がときどき出ちゃうんですけど、“だから”って言うと、他の出身の方に“え?つづきは?”って返されるんですよ(笑)」
宮城では、「だから」は“そうだよね”や“その通りだね”など共感を示す相槌としても使われるそう。「“あ~、そうだよね”の代わりに“だから~”って言うと、他の出身の方は“え、何を説明してるの?”って(笑)」そう話しながら笑う彼女の宮城弁は、地元愛と素直さが詰まって温かく、親しみやすい。

◆「宮城の親が見ている番組に出たい!」
SKE48時代は“名古屋発アイドル”として輝いてきた菅原。これからは“東京発全国区、そして宮城出身タレント”として輝きたいという。
「親が見ている番組にたくさん出演させていただきたいです!苦手なことも好きなことも全部挑戦して、マルチタレントとして頑張っていきたいです!ふるさと宮城県では全局でレギュラーを持ちたい(笑)老若男女に愛されるタレントになれたらいいなと思ってます。よろしくお願いします」

アイドルを卒業しても、そのまっすぐな笑顔と地元愛は変わらない。名古屋への10年分の感謝と、新しい夢を胸に、菅原茉椰の芸能活動“第二章”がはじまった。
■菅原茉椰プロフィール
2000年1月10日生まれ。宮城県仙台市出身。2015年SKE48ドラフト2期生としてお披露目され劇場デビュー。正規メンバーへ昇格し、10年間活動。SKE48としては、初の東北地方出身メンバー。2025年8月31日をもってSKE48を卒業し、2025年11月6日アソビシステムに所属することが発表された。
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