木村多江「自分の全てが嫌いだった」 コンプレックスを克服し唯一無二の“怪演女優”と呼ばれるまでの足跡を語る

2024.1.15 20:00

俳優の木村多江が1月13日放送の日本テレビ系『Google Pixel presents ANOTHER SKY (アナザースカイ)』に出演。50年前に家族と暮らしていたシンガポールを旅した木村が、亡き父への思いを明かした。

デビューから33年。多様多種な人物を演じ分け、薄幸系から狂気まで操る唯一無二の“怪演女優”として独自のポジションで人気を確立したが、約20年前にドラマの撮影でこの地を訪れた頃は、「周りみなさんね、スタイルが良くてきれいな人ばっかりで、“何であたしはこんな目が腫れぼったいんだろう”とか、“みんな目ぱっちり二重でいいな”とか、“自分の全てが嫌いだった”」と、多くのコンプレックスを抱えていたことを告白。「“役者としてあたしはどうなんだろう”って結構思ってる時期だった」と当時の苦悩を振り返った。

そんな時に背中を押してくれたのが、自身と同じ年でシンガポールで働いていた、今は亡き父の存在。演技の専門学校へ進学し、在学中に舞台女優としてデビューを果たしたが、父は手放しで応援してくれた訳ではなく「そんなに舞台も観に来るわけでもなく。でも私は“関係ない”って思って、がむしゃらに学校行きながらも、バイトをたくさんして、お稽古を4つ、5つやってたんですよね。だからものすごく忙しくて」と演技に没頭していた当時を回顧。「そういう忙しいことに父はすごくストレスを感じてた部分もあって、そうやってストレスかけながら、でもそのことに私は見向きもせず、前に進んでて。学校を卒業して1か月もしないうちに父が亡くなったんですよね、突然ね」と、急に訪れた父との別れを吐露した。

そして「その時に“あぁ、自分がすごくストレスを父に掛けてしまってたな”っていうこととか、“母から父を奪ってしまったんじゃないか”っていう自責の念がずっと20代は占めてましたね」と当時の胸の内を明かした木村は、「“自分が幸せになることが許されない”っていう感覚が強かったし、“笑ってることが許されない”っていうか、だから不幸な役が来てちょうど良かったのかもしれないですけど」と、強く悲観したことを追憶。

続けて「10年間は本当に1人で必死に走ってきたっていう感覚だったんですよね」と思い返した木村は、「いつも自分のやった演技とかに関しても苦しんでたんですよね。“何であたしはこんなにできないんだ”とか」とそれでも必死に演技に向き合っていたことを回顧。

しかし「そういう時、いつも必ず“あの芝居で元気が出ました”とか、“もうちょっと頑張ってみようと思います”とか、“良かった”って言ってくださる方たちが、実は私を支えて走ってくれたんだな」と、自身を支えてくれた存在を明かし、「そのことに10年経って気付いて、“もうそろそろ自分自身を許して自分のことをもう少し愛してあげられたらいいな”と思ったし、“人を幸せにしていくことを私が仕事を通じてやれたらいいんじゃないかな”っていう風に思えるようになって」と、父との別れとその苦しみを乗り越えた術を打ち明け、締めくくった。

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写真提供:(C)日テレ

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