40年前の日航機墜落事故 坂本九さんが乗っていた悲劇の便にさんまも乗る予定だった…2人の国民的スターの運命の1日

2025.12.17 11:00
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山田裕貴らの写真

そんな中、さんまは1980年6月12日放送の『スター千一夜』に大抜擢(ばってき)。弓道場での出会いを思い出した九さんも、さんまの出演を快諾したという。憧れの九さんとのトークで、さんまは「笑顔が素敵で、こっちまで幸せになった」と喜んだ。一方の九さんは、「あの子はきっとスターになるよ。新しい時代の始まりかもしれないね」と太鼓判を押したという。

すると翌年、さんまのサタデーナイトショー『お色気スター千一夜』の放送開始を皮切りに、トークが少しずつ話題になり、呼ばれる番組が増えていったというさんま。同じ時期に、九さんは『スター誕生!』の司会になったが、マネージャーは「僕はもっと九さんが真ん中にいる番組がいいなって」と本音を漏らした。それでも九さんは「次のスターを作るのも悪くないよ」と前向きに取り組んだという。

気づくと、全国区の顔になっていたさんまは、月にレギュラー番組14本、休み無しの状態に。そして、疲れ切ったさんまが、「365日休みゼロ。寝られて2、3時間ですわ。芸人は休むなって言いますけど、もう体が言うことを聞かんようになってきました。正直限界っすわ」と弱音を吐くシーンも。その上、バラエティー番組を突然降板したり、舞台もボイコット。NHK朝ドラ『澪(みお)つくし』でも、わざと醤油樽(しょうゆだる)に落ち「これで俺、死んだことにできませんか?このドラマ出なくていいんで」と直談判したこともあったという。

さらに家へ帰っても、記者がずっと張り込んでおり、気が休まる暇がない状態。悪いことは重なり、1985年7月、精神的に最もつらい時に祖父が死去。芸人になりたいというさんまの背中を唯一押してくれた存在だったそうで、失意のどん底に。

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