日本初開催、東京2025デフリンピックがつなぐ希望への道~アスリートたちが託すメッセージ~
先月26日、耳がきこえない人・きこえにくい人のための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が閉幕した。日本選手団は前回大会の過去最多30個を大幅に上回る51個(金16・銀12・銅23)のメダルを獲得。閉会式ではサッカー・松元卓巳選手とバスケットボール・若松優津選手が旗手を務め12日間の熱戦の幕を閉じた。
本大会のビジョンのひとつが「“誰もが個性を活かし力を発揮できる”共生社会の実現」。
戦いを終えた選手たちがデフリンピックを経て伝えたい思いとは-。
■瀧澤諒斗選手(サッカー) 「子供たちのロールモデルに」
サッカー男子日本代表は銀メダルを獲得。瀧澤諒斗選手(21)はデフリンピック初出場で2ゴールを決め、日本の躍進に貢献した。

提供:東京パワーテクノロジー
ろう学校ではなく一般校に通学し、“聞こえる”人に囲まれて育ったが、障がいをからかわれるなど、高校まで自分に自信が持てなかった。
亜細亜大学進学後、自分を変えるきっかけを作ってくれた一人が、准教授の橋本一郎さん。
手話通訳者でもある橋本さんとの出会いを通して、「自分はありのままでいいんだ」と思えるようになったという。
試合会場、福島のJヴィレッジには橋本さんも応援に駆けつけ、瀧澤選手は、その前で得点を決めるなど日本の躍進に貢献した。

教え子の活躍に橋本さんは、「大学に入学し、様々な思いを乗り越えた先にこんなに素晴らしい結果が生まれるんだな、と感じました」と感無量の様子だった。試合後、「入学当初は厳しく指導してもらったが、それは僕のため。すごく感謝している」と恩師への思いを語った瀧澤選手。デフリンピックを終え、次は自分が誰かの背中を押す番だと感じている。

来春、瀧澤選手は障がい者スポーツ支援を通じて共生社会の実現を目指す企業、東京パワーテクノロジーに入社予定。社会人生活と競技生活の両立を図りながら、同じ障がいがある子供たちの指針となることを決意している。
「耳が聞こえなくても世界を相手に戦うことができるということ、一歩を踏み出す勇気を持てば必ず道は拓けるということを自分自身のプレーや姿で証明し続けたい。自分と同じ境遇や耳がきこえない子どもたちの“ロールモデル“になりたい」
■「自分らしく輝け」 佐藤正樹選手(柔道)が後輩たちへのエール
柔道男子66kg級・佐藤正樹選手(32)が在籍していた山梨県立ろう学校は、1年前から教育課程にデフリンピックに関する学習を取り入れている。今大会では学校行事の一環として佐藤選手の試合を高等部代表3名が観戦。残りの児童・生徒は校内で開かれたパブリックビューイングで観戦した。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ
中村知佳校長は、「聴覚障がいは見た目には分かりにくい。社会の中で他者とのコミュニケーションにおいて誤解されやすく自己肯定感が育ちにくいと感じる。そんな現状の中、障がいを個性と捉え、前向きに夢を実現する本校の先輩たちの姿を目の当たりにできる経験は、子どもたちが生きる指針となり大きな自信となる千載一遇の機会」と語った。山梨から上京し会場で観戦した生徒も「佐藤選手の試合を初めて生で見て迫力があった。実際に見ることができて良かった」などと語り、先輩が大舞台で戦う姿に感動した表情を見せた。
そんな彼らの先輩、男子団体で銅メダルを獲得した佐藤選手(ケイアイスター不動産)は、子供たちに向けて「私だけではなく世界中にいる聞こえない人たちがここに集まっている。様々な人たちが大変な環境で過ごしているが、困難を乗り越えて、この舞台に立つことができている。みんな、どんな形でもいい、私たちを見て自分が自分らしく輝ける道を歩んでいって欲しい」とメッセージを送った。
■日本のパイオニア髙田裕士(陸上)、共生社会実現への思い

陸上110mハードルの髙田裕士選手(トレンドマイクロ)は、5大会連続となる出場を果たした。
デフリンピック閉幕後、41歳、日本デフスポーツ界のパイオニアは大会のビジョンでもある「共生社会」へ思いを語った。
「障がいの有無に関わらず、人にはできることやできないこと、得意なこと不得意なことがある。
高い所にある物を取りたい時、背の高い人が取るのを手伝うように、障がいがある人には、その障がいを補えるようにサポートをする。“障がいあるから”ではなく、“お互いに必要な助けをして生きていく”というような考えを皆が持てれば、共生社会に繋がると思っている」

写真:YUTAKA/アフロスポーツ
多くの人に感動と気づきを与えた東京デフリンピック。
“共に生きる社会へ”
アスリートたちの姿と思いは、その実現への力強い一歩となった。











