甘くて、キュートで、世界にひとつ。新国立劇場バレエ団のオリジナル版『くるみ割り人形』

2025.12.26 13:00
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新国立劇場バレエ団の写真

この冬、新国立劇場バレエ団では、バレエ『くるみ割り人形』の新制作が上演された。年末年始の定番レパートリーとして長年親しまれてきた作品であり、新国立劇場では、吉田都芸術監督の就任以降、約3週間にわたって上演される“冬の看板公演”として定着している。多くの観客にとって、年末年始の楽しみの一つとなっている作品だ。

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新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司

一方で、『くるみ割り人形』をめぐっては、21世紀に入り、その表現の在り方が厳しく問われてきた。ムーア人の踊りや第2幕に登場するアラビアの踊り、中国の踊については、人種や民族のステレオタイプを助長するとの批判が重ねられ、衣装や化粧、身振りの表現が問題視されてきた。近年の欧米では、こうした指摘を受けて演出や振付を見直す動きが広がり、2021年にはベルリン国立バレエ団が作品そのものの上演を中止するという判断を下したことも、大きな議論を呼んだ。

そうした国際的な文脈の中で、新国立劇場バレエ団が『くるみ割り人形』の新制作に踏み切ったことは注目に値する。今シーズンのラインナップ記者会見で、吉田都芸術監督は、「特に第2幕は、どの国ということではなく、スイーツとして描かれていて、とてもかわいらしい。みんながハッピーで観られる作品にしたい」と語っていた。その言葉どおり、本作は“甘さ”や“多幸感”を正面から肯定する方向へと舵を切っている。

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新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司

今回の新制作を貫いているのは、圧倒的なまでの甘さ、キュートさである。ただしそれは、表面的な可愛らしさや装飾性にとどまるものではない。舞台全体には明確な物語性が流れており、その物語を支える構造が、作品に確かな厚みを与えている。
第1幕で丁寧に張り巡らされる伏線が、第2幕へと自然に引き継がれていく構成は、振付を手がけたウィル・タケットならではのものだ。演劇的な感性を色濃く持つタケットは、バレエを単なる踊りの連なりとしてではなく、「語られていく物語」として、後の展開を予感させるかたちで積み重ねられていく。

注目したいのは、第2幕に置かれた王子のマイムのシーンである。吉田都芸術監督はこれまで、ダンサーたちに「演じる楽しさ」や演劇性を高めてほしいと語ってきた。この場面は、王子がひとりで物語を語る構成となっており、言葉を用いずに感情や背景を伝える力が問われる。そこには、演劇性を大切にしてきたブリティッシュ・バレエの精神が色濃く息づいており、第2幕全体への導入として、舞台の世界観を確かなものにしている。

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新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司

バレエ『くるみ割り人形』の原作は、ホフマンの『くるみ割り人形とネズミの王様』である。バレエ版においても、ネズミの王様は物語の鍵を握る重要な役割を担ってきた。これまでの上演では、プリンシパル・ダンサーが演じることも多く、物語を大きく動かす存在として描かれてきたが、今回の新制作では「ネズミの女王」として登場する。この設定は、単なる奇をてらった変更ではなく、物語の力関係や構造を保ったまま、現代的な感覚をさりげなく取り入れたものなのか・・・近年のジェンダーをめぐる社会的変化を直接的に語ることなく、舞台表現として自然に更新してみせる点に、粋な演出の妙がある。

第2幕の各国の踊りは、お菓子の国という設定のもと、従来の上演では「コーヒー」や「チョコレート」といった名称が与えられ、そのイメージに委ねるかたちで各国性が表現されることも少なくなかった。しかし今回は発想そのものが刷新されている。単なる名称の置き換えではなく、構造として再構築されており、それでいて古典的な踊りやキャラクター性へのリスペクトは非常に濃い。変えているが、壊してはいない。そのバランス感覚が、第2幕をこれまでとはまったく異なるものにしている。

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新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司

さらに、本作では映像の使い方も印象的だ。クラシック・バレエでありながら、現代の映像技術を効果的に取り入れ、舞台空間を豊かに拡張していく手法は、英国ロイヤル・バレエの『不思議の国のアリス』や、2023年に一新されたアシュトン版『シンデレラ』を思わせる。古典をそのまま保存するのではなく、21世紀の観客に向けて更新していく──その姿勢が、この『くるみ割り人形』にも確かに息づいている。

史上最高に甘く、キュートな世界観が、物語性と構造によってしっかりと支えられているからこそ、観客は安心してその幸福感に身を委ねることができる。
ここでしか観ることのできない、世界でただ一つの『くるみ割り人形』。この冬、新国立劇場バレエ団が提示した特別な一作を、ぜひ劇場で体験してほしい。

<写真>新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司
<取材・文>和田弘江

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新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』撮影:鹿摩隆司

【公演概要】
2025/2026シーズン
バレエ『くるみ割り人形』<新制作>

振付 ウィル・タケット(レフ・イワーノフ原振付による)
音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
編曲 マーティン・イェーツ
美術・衣裳 コリン・リッチモンド
照明 佐藤 啓
映像 ダグラス・オコンネル
芸術監督 吉田 都
指揮 マーティン・イェーツ/冨田実里
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 東京少年少女合唱隊
出演 新国立劇場バレエ団

【公演日程】
2025年

12月19日(金) 19:00
12月20日(土) 13:00/18:00
12月21日(日) 14:00
12月23日(火) 19:00
12月24日(水) 19:00
12月25日(木) 19:00
12月27日(土) 13:00/18:00
12月28日(日) 14:00
12月29日(月) 13:00/18:00
12月31日(水) 16:00

2026年
1月1日(木・祝) 14:00
1月2日(金) 14:00
1月3日(土) 13:00/18:00
1月4日(日) 14:00

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