サッカー日本代表・堂安律 「負けたら俺のせいにされるし」オランダ時代の苦悩から“仲間として認めてもらうために”やったことは?
2025.8.4 11:30
サッカー日本代表の堂安律が、2日放送の『Google Pixel presents ANOTHER SKY(アナザースカイ)』に出演。自身にとって初の海外進出となった、オランダ・フローニンゲンを訪問し、毎日が戦いだった挑戦の日々を振り返った。
「なんかもっと大きく見えてたな」と、懐かしそうにFCフローニンゲンのホームスタジアムに足を運んだ堂安。このスタジアムで、入団会見も行った。「緊張しましたね。19歳でよく来ましたよ」といい、「何もわからないただの子どもだったんで、プロとしてここに来たというよりも、試されているというか、練習生のような気分」と想起する。
ガンバ大阪の下部組織で頭角を現し、高校2年でJリーグデビューを果たした堂安は、ガンバ大阪との契約期間を2年残して移籍することになった。移籍金としてFCフローニンゲンからガンバ大阪に支払われた額は200万ユーロ。現在の日本円の価値で約3億円という金額で締結されたビックオファーだった。当時18歳で、かつ欧州での実績もない日本人を獲得するためということで、オランダでも大きな話題になったという。
堂安はプロサッカー選手を夢見た幼いころから、海外でプレーすることが1つの目標であったというが、実際に移籍してみると風当たりは強かった。記念すべき初戦ではスタメンに選ばれるも、チームメイトとの意思疎通もうまくできず途中交代。さらに堂安が移籍してから最初の半年、FCフローニンゲンはリーグ18チーム中13位と低迷し、大きな期待をかけられていた反動か、サポーターだけでなくチームメイトたちからも非難の的にされた。
当時住んでいたアパートを訪れると、堂安は移籍して最初の半年について語り始めた。「来て早々の初戦でこれか、みたいな。最初の半年はやっぱりパス来ないですからね。試合負けたら俺のせいにされるし」といい、家の中で1人、葛藤する毎日だったという。しかし「僕が決めた決断なのに、“寂しいわ、日本帰ろうかな”なんて言ったらかっこ悪すぎる」と、日本にいる家族にすら、弱みを見せることはなかったそう。「最初の半年はプレーもうまくいかない、食事も違う、言語も違う。それで1人なわけですよ、ここで。やっぱり辛かったですね」と話した。

そんな状況で、自身のなかで変化が起きたのは移籍した年の冬。オフシーズンで日本に一時帰国した際、気合を入れ直したという。「このまま終わるわけにはいかん」、そう決心し、フローニンゲンで活躍する方法を模索し始めた。食事中、自分が食べ終わっても他のチームメイトがいれば残ってコミュニケーションをとるようにする、食事に誘ってもらえたら絶対に断らないなど、仲間として認めてもらうために、普段の生活から小さな努力を積み上げた。英語の勉強にも本腰を入れ、チームメイトたちとの会話も徐々に増えていった。そうした努力が実ってか、後半シーズンについて「絶好調でしたね」と話す。チーム内でのシーズンMVPにも選ばれ、「フローニンゲンの時代を振り返ると、1年目の後半戦が一番良かったかな。めちゃくちゃ充実してましたね」と語った。
その後、様々なチームを渡り歩き、着実に実績を積み上げてきた堂安。番組の最後、2026年開催のワールドカップについて聞かれると、「いまだに夢みたいな舞台。今すぐにでもあそこの場所に戻りたい」と話す。「代表の背番号の重みは違いますし、僕が10番になることが、日本代表が強くなることやと思ったんで、今はトレーニングから日ごろの行動から、すべてワールドカップ優勝を逆算して行動してる。着実に日々成長することが、ワールドカップ優勝に一番近づくことだと思うので、一日一日を大事に過ごしていきたいなというのは思っています」と、逆境を乗り越えた地で力強く語った。
【TVer】最新話を無料配信中!
【Hulu】最新~過去話配信中!