“日本最強の城”大阪城は豊臣ではなく徳川の城? 知られざる創建秘話に櫻井翔も驚き

2024.3.17 11:30

櫻井翔がMCをつとめる『1億3000万人のSHOWチャンネル』が3月16日に放送。この日は『大人の修学旅行SP』と題し、櫻井、羽鳥慎一、小峠英二、吉村崇が大阪城を訪ねた。

年間117万人以上が訪れる大阪城。実は「徳川が築いた石垣の上に、豊臣(モデル)の天守が建っている」のだという。1615年の大坂夏の陣で消失したあと、徳川秀忠が再建。その際、豊臣時代より石垣の高さと堀の深さを2倍にせよ命令。さらに天守閣は、以前は高さ40mだったものを58mにしたという。ところが、わずか39年後に落雷で消失。再建されたのは昭和6年。大阪市民からの寄付金で、豊臣時代の天守になった。あまり知られていない事実に一同は驚き。

侵入した敵を迎撃する櫓(やぐら)を11個も配置したという徳川大阪城。城の研究者たちは口をそろえて「一番強い城は徳川大阪城」と言うのだとか。折しも『多聞櫓(たもんやぐら)』と『千貫櫓(せんがんやぐら)』は春の特別公開中(3月16日から4月21日までの土・日・祝)で、中を見学できる。門のちょうど上には“槍(やり)落とし”と呼ばれる穴があり、敵を上から攻撃する仕掛けになっている。番組で何度も城を探訪した羽鳥と吉村は「石、油、ふん尿なども落とす」と知識はバッチリ。櫓では火縄銃(レプリカ)の狙撃体験もでき、夢中になる吉村に、「子どもみたい」と櫻井がツッコむ場面も。

そしていよいよ本丸へ。天守閣は現在博物館となっており、ある物が収蔵されているという。それは徳川のブレーンだった僧・天海(てんかい)の甲冑(かっちゅう)。天海には明智光秀と同一人物であるという説があるが、天海の兜(かぶと)の名前を見て一同はびっくり。その名は「麒麟前立付兜(きりんまえだてつきかぶと)」。明智光秀の前半生が描かれた大河ドラマ『麒麟がくる』を思い出した櫻井は「怖い怖い、怖いわあ」とおののいた。

最後に訪れたのは、大坂冬の陣の際に作られた出城『真田丸』があったとされる場所。現在は三光(さんこう)神社となっている。そこには大阪城につながっていたとされる“真田の抜け道”が。真田幸村は、ここから将軍・豊臣秀頼を連れ出し、生き延びたのではないかとされる伝説がある。当時、京で流行った童歌(わらべうた)に「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島(鹿児島)へ」というものがあったそうだ。事実、鹿児島県には、幸村と秀頼のものとされる墓が存在する。

徳川幕府を倒したのが薩摩藩(現在の鹿児島県)であると気づいた一行は、「積年の恨みが」「つながってるんだ」と感嘆の息をもらし、羽鳥と吉村は「鹿児島行きますか、今から」「行きましょう、鹿児島」と前のめりに。しかし、歴史に詳しくない小峠が「俺はもう行かないよ!」とツッコみ、大阪編の旅は終了となった。

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写真提供:(C)日テレ

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