宮藤官九郎×水田伸生監督スペシャル対談1 空っぽの劇場ロビーからつながる映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』への軌跡

2023.10.21 14:00

俳優の岡田将生、松坂桃李、柳楽優弥らが出演する映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』が10月13日から公開されている。2016年に放映された大人気連続ドラマ『ゆとりですがなにか』の映画版だ。俳優陣の他、脚本は宮藤官九郎、監督に水田伸生と制作陣もドラマの布陣そのままに大ヒット上映を続けている。宮藤と水田はこれまでもドラマに映画にとヒット作を生み出している名コンビだ。二人の出会いからドラマ『ゆとりですがなにか』の誕生、そして『ゆとりですがなにか インターナショナル』につながる思いなどを話してもらった。

■初対面は空っぽの劇場のロビー

―― 映画『舞子Haaaan!!!』『なくもんか』などお二人が世に放たれた名作が数多くありますが、お二人のタッグはどのようにして始まったのでしょうか。

水田伸生(以下、水田) 連続ドラマ『ぼくの魔法使い』(2003年、日本テレビ系列にて放映)が最初ですね。
宮藤官九郎(以下、宮藤) 20年前ですね。
水田 仕事としてはそう。だけど僕は、(宮藤が所属する劇団)大人計画をずっと見ていたわけですよ。宮藤さんは松尾スズキさんの脚本で舞台に出ていた。その上で宮藤さんは『GO』(2001年の映画)や『池袋ウエストゲートパーク』(2000年のテレビドラマ)を書かれていて、すっごい脚本家だなと思っていました。それである時「宮藤さんに日本テレビで連ドラの脚本を書いていただきたい」と事務所に連絡して、本多劇場(東京・下北沢)のロビーで初めて会ったんです。
宮藤 そうでしたっけ?
水田 そうですよ。お客さんを送り出した後の空っぽの劇場のロビーで。小一時間話したんですよ。
宮藤 そうでしたっけ?
水田 その時僕が『淋しいのはお前だけじゃない』(1982年のテレビドラマ)のVHSを持って行って、例えばこんなのって。
宮藤 あー! 2002年じゃないかな。2003年に中村勘三郎さんと『ニンゲン御破算』(舞台)でお芝居をしていた時に本を書いていたのを覚えています。(東京・渋谷のBunkamuraでの上演)だから、渋谷の光景として覚えているんですよね。ずーっと本(脚本)を書いていたなって(笑)。

■ドラマ『ゆとり~』は俳優陣に書かされた?

―― 20年間のお付き合いを経て2016年放映の連続テレビドラマ『ゆとりですがなにか』が生まれたのですね。

水田 (きっかけは)宮藤さんが「書きたいものがあるんですけど」って言ってくださったことでしたね。
宮藤 (水田監督と一緒に)映画を3本つくった後、もともと連ドラを一緒につくったこともあったので、何となく「ゆとり世代の連続ドラマってどうかな」と思ったんですよね。
水田 そうそう。今まで聞いていなかったことが一つあるんだけど。あの時なぜ『ゆとり~』を僕のところに持ってきたの?
宮藤 それは、水田さんだからだと思うんですよ。
水田 ん?
宮藤 『謝罪の王様』(2013年の映画)をやる時に水田さんから最初に「社会喜劇、風刺喜劇というのをやりたい」って話していただいたので、それが頭に残っていたんだと思います。これ(ゆとり世代を扱うドラマ)がほんとうに風刺喜劇、社会派のコメディーになるなって。
水田 なるほど。
宮藤 「社会派コメディーをやりませんか」って提案されて、みんなが闇雲に謝っている現代っておかしくない?と思って『謝罪の王様』を発想したので、その延長線上に『ゆとり~』があったんだと思うんですよね。でも、最初に書いた『ゆとり~』は全然連続じゃなかったですね。
水田 最初はちょっと、おっかな悲しい感じだった。
宮藤 そう。それだと連続にならないと思い、書き変えていたら、その中で出会った坂間正和(岡田将生)、山路一豊(松坂桃李)、道上まりぶ(柳楽優弥)の3人のストーリーを描くというところに至った。ただ、今思うとですけど、3人の俳優や安藤サクラさん(宮下茜役)や、その他のキャストの方々が素晴らしいから書けた。と言うか、書かせてもらった。って言うか、書かされたという気はしますよね(笑)。

―― 俳優陣に触発されたのですね。

宮藤 この人たちはこれだけではもったいない、何話も書きたいと思ったんです。連続ドラマで、物語のテーマや展開よりも「この人のここをもっと見たいから」とか「この人のこういう面はまだ見ていないから」っていう、俳優から発想して書くことは、あまりないことなんですけどね。
例えばもし、山路と茜が一夜を共ににしたらどうなるかとか、そういった組み合わせがいくつもできるというのが『ゆとり~』を書く喜びとか、楽しみでしたね。

■ゆとり世代延べ100人以上を取材

―― そんな脚本を見て水田監督はどのように思われたのですか?

水田 脚本以前に、打ち合わせをいくつも重ねました。構想が徐々に固まってきた頃「取材をしましょう」と宮藤さんから提案があって、ゆとり世代の人、延べ100人以上に会ったんです。人を入れ替え、興味があれば同じ人に繰り返し、そうやって会っていった上でのシナリオづくりでした。

―― 脚本をつくる際の取材風景は、『ゆとり~』のスピンオフドラマ『山岸ですがなにか』の場面にもありましたが、あのような感じですか?

宮藤 あんな感じですよね。(そうやって水田監督と)取材を一緒にやって制作に進むと、「あの話はこういうところに生かされるんだ」って共有できたなって思いました。
水田 うん。
宮藤 (山路の職業である)学校の先生というのも、俺らの頃の学校の先生とは違うんだ、とか。
水田 そうそう、そうそう。
宮藤 いっぱい聞いたことで見えてくるものがありましたよね。
水田 まりぶみたいな人はいなかったけどね。
宮藤 いなかった(笑)。あれは完全な創作です。
水田 レンタルおじさんというのも、そういう人がその時代の風俗としてあるということもキャッチしたりね。
宮藤 うんうん。
水田 「世の中を“ゆとり”を通して見たい」っていう目つきがすごくあったんですよ。舞台となった酒蔵の脱サラ社長は、今回の映画の脚本づくりの前にも会いましたっけね。

■社会への不満、「エンタメで言ってもいいんじゃない?」

―― ところで、2016年当初、なぜ社会派コメディーをやりたいと思われたのですか?

宮藤 昔は(社会派コメディーが)いっぱいあったんですよ。
水田 うん。あった。
宮藤 『岸辺のアルバム』(1997年のテレビドラマ)とか『ふぞろいの林檎たち』(1983年のテレビドラマ)とか、どうしても山田太一監督の作品になっちゃうけど、その当時起こっていることが連ドラになっていたような気がするんです。けれど、ある時からあんまりやらなくなりましたよね。
水田 そうだね。社会人1年生がすごいマンションに住んでいるようなドラマが始まったりして、それをアンリアルだろうと視聴者も言わないような時代があったね。
宮藤 言わなかったですよね。映画でも昔は、きちんと社会を描いていながらキャストは渥美清さんなどの喜劇の方でコメディーとして成立しているものがいっぱいあった。なのに今はなんでないんだろうなって思っているところに、(水田監督から)風刺喜劇をつくろうって話をいただいて。それで「今だったら“謝罪”だろう」って、謝ることを指南するコンサルタントを阿部(サダヲ)くんで描く『謝罪の王様』ができた。
水田 そう。時代を先取りしましたよ。その後、危機コンサルタントって人がたくさん出てきた。
宮藤 みんな、社会に不満がありますよね。それがエンタメになると言わなくなっちゃうんだけど、言ってもいいんじゃない? そこが面白いんじゃない? って思うんです。
(対談の様子は「その2」に続く)

© 2023「ゆとりですがなにか」製作委員会

『ゆとりですがなにか インターナショナル』
全国東宝系にて公開中
出演:岡田将生 松坂桃李 柳楽優弥 安藤サクラ 仲野太賀 吉田鋼太郎
脚本:宮藤官九郎
監督:水田伸生

写真:© 2023「ゆとりですがなにか」製作委員会
©entax

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