“落語界の垣根をなくす” 元・笑点ディレクターから見た六代目三遊亭圓楽師匠の功績

2022.11.1 07:00

前回に引き続き、『笑点』元・ディレクターであった私、『やきもち女将』が10月28日に行われた『六代目を偲ぶ会』を取材。座談会の様子などを報告する。

『六代目を偲ぶ会』は六代目の弟弟子の三遊亭竜楽師匠を司会に、兄弟子の鳳楽師匠、好楽師匠、圓橘師匠、六代目の総領弟子の楽生師匠で行われた。冒頭、円楽師匠の『浜野矩随』が流れた。円楽師匠の落語の上手さを思い出して聞き入ってしまう。鳳楽師匠からは、五代目円楽師匠の広いご自宅の掃除で兄弟子の鳳楽師匠に楽をさせようと六代目が計ったら、当人が自分の計らいを忘れてしまって師匠に怒られた話。圓橘師匠は五代目が開いた寄席『若竹』で五代目が「落語は理屈じゃない」と言ったら、六代目が「じゃあ師匠、なんですか?」と言って五代目が言葉に詰まってしまった話と、頭が良くて卒のない方だったことがよく分かるエピソードが出てきた。弟子の楽生師匠からは六代目の言われたこととして「世に出るためには、面白くなるか、上手くなるか、まめになるか」と言う話。確かに売れっ子の師匠はなぜか全員まめで、若手以上に電話の折り返しが速かったりする。

三遊亭円楽師匠

私の円楽師匠の思い出、冒頭で書いた落語の素晴らしかったことや、番組のことを真剣に考えていた厳しい姿もあるが一番懐かしく思い出すのは、私の友人の結婚式ビデオに出てもらったことだ。出てもらったと言うか、正確には写り込んでもらったのだが。

友人夫婦は、私が店を出す前に企画していた落語会の最終回で小遊三師匠にご出演頂いた会に初デートに来て結婚した。その縁あって小遊三師匠に結婚式ビデオでのコメントをお願いしたのだった。それを撮影しに行ったのが『小遊三・圓楽二人会』の楽屋で、ちょうど円楽師匠が錦糸町で時の人になっている時期だった。小遊三師匠に夫婦円満の秘訣をコメントして欲しいとお願いしている時、横で聞いていた円楽師匠は「俺は出ちゃダメなやつだな」と苦笑していた。時の人が出た方が抜群に面白くはあったが、その時の円楽師匠にはコメントをお願いしにくいテーマではあった。師匠がいらした方が場は盛り上がるので、とりあえずいて下さいとお願いした。カメラを回し始めると、円楽師匠は「はい! 出ちゃいけない人です!」と言って目だけ隠してノリノリで写り込みに来てくれた。あんなツヤツヤでかりんとうみたいな人、誰が見ても師匠だと分かる。思わぬ時の人の登場に、VTRの流れた披露宴会場では気持ちよくお酒の入ったお客様方にバカ受けだったと聞いている。

その後も私が『笑点』の忘年会でやったフリップ漫談を気に入って褒めて下さったり、店を出して数年してコロナが流行っても私の宴会芸を懐かしんで忘年会がなくてつまらないと年賀状に書いてくれたり、楽しい師匠の姿に触れることができた。

復帰された師匠の国立演芸場の楽屋に会いに行くなら、私は師匠を笑わせなければと「師匠、なに病院から出てきてニュースになってるんですか!? 師匠はホテルから出てきてニュースにならないと!」という冗談を用意していた。ただ、その前にテレビで見ていた闘病中の師匠は弱っているのがよく分かって、ツヤツヤのかりんとうでない師匠を前にして、泣いてしまいそうだから、泣くのは良くないと思い、もう少し元気になってから師匠を笑わせに行こうと思って結局行くことすらやめてしまった。その後しばらくして亡くなった。あの時、会いに行けば良かったのか、その場が凍りつくとんでもない冗談を言うくらいなら行かなくて正解だったのか、今ではよく分からない。

円楽師匠は落語界の協会・会派の垣根をなくそうと、『博多・天神落語まつり』や、『さっぽろ落語まつり』をプロデュースして精力的に活動していた。同じく落語会の制作をやっている立場からすると、あれだけ大規模な会の企画は私ならばごめん被りたいくらい、とても大変だったと思う。偲ぶ会の楽屋で好楽師匠は「円楽の作ってくれたものを壊してはいけない、遺志を継いでやりたい。今まで大好きだったいい加減だけど、いい加減ではいられなくなってしまった」と話していらっしゃった。ソツのない円楽師匠のやっていたことを好楽師匠がやるとなると、すごく疲れてしまうのではないかと、いい加減の好楽が大好きな私としてはとても心配になってしまう。好楽師匠にはニコニコと長生きして欲しいし、師匠がニコニコしているのを見るとみんな幸せな気持ちになる。

元・笑点ディレクターの『やきもち女将』

私は自分の「落語・小料理 やきもち」で若手と一緒にやることも多いけれど、今の若手を見ていると円楽師匠の目指していた協会・会派の垣根をなくすこと、自然にそうなっていくのではないかと思う。六代目円楽師匠や好楽師匠の世代は生まれ育ちが途中まで一緒で、親の都合で子どもたちがバラバラになってしまった昭和の封建的な感じがするが、今の若手は、生まれ育ちはバラバラでも、同じサッカーチームやバスケットチームで一緒にプレーしている友達、みたいな爽やかさがある。きっと円楽師匠の目指したようになっていくのではないかと、会派を超えて爽やかに一緒になって研鑽している若手たちを見ていて思う。

円楽師匠は亡くなった後まで私に仕事をくれて食わせて下さった。大物は将来有望な人にも、私みたいなセコにも同じように優しいし、ご馳走してくれる本物の大物芸人だ。師匠、ご馳走様でした。

前編はこちら

東京・秋葉原『落語 小料理やきもち』 やきもち女将

写真提供:国立演芸場

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