『六代目を偲ぶ会』元・笑点ディレクターが三遊亭好楽師匠に単独インタビュー 六代目圓楽師匠の素顔語る

2022.10.31 21:00

9月30日に肺がんのため亡くなった落語家・三遊亭円楽さんを『偲ぶ会』が、10月28日に行われた。『六代目を偲ぶ会』は3日間の圓楽一門会のうちの1日で、東京・半蔵門にある国立演芸場で行われた。

『偲ぶ会』があるので記事にして欲しい。この仕事が来た時、私には円楽師匠の「今、困っているだろ、俺を使っていいぞ」という声が聞こえたような気がした。

私は秋葉原で落語が聞ける小料理屋「落語・小料理 やきもち」という店をやっている。火曜が演芸を楽しめるイベント日だが、リモートワークの浸透か、平日夜の集客がさっぱり振るわなくなった。自宅で仕事を終えた人は疲れた体でわざわざ支度をして外に出てはくれない。土日にイベントを移したいところだが、今度は従業員を確保できない。平日は客の取り合い、休日は従業員の取り合い、その全てに負けて、赤字を垂れ流しながら、たまに店以外の仕事の収入も入れてなんとかやっている。豪華な出演者でも集客できないセコな店、のセコ女将。元はテレビの制作をしていて、10年程前、歌丸師匠が司会だった頃に『笑点』のディレクターを務めていて、円楽師匠ともご一緒した。大事な『偲ぶ会』の記事を亡くなった師匠で食おうとするセコがこれから書く。

円楽師匠はディレクター以上にディレクターらしい方で、番組としての『笑点』のことを考え、厳しい意見も出して下さる方だった。私はまともに落語を聴いたことがないまま担当していたので、師匠達のことを知らなければと思って落語をよく聴きに行った。その中で聴いた円楽師匠の『一文笛』は素晴らしく、落語でこんなに人を感動させることができるのかと驚かされた。芸の凄さと番組への愛ゆえの厳しさで、ヘラヘラした私にとっては会うと緊張する師匠だった。師匠はいつもあんパンの差し入れをくださったが、そのあんパンも緊張の味がした。それが変わったのは、かの錦糸町ラブホテル事件の頃で、大変な思いをされた方々には本当に申し訳ない言い方になってしまうが、初めて師匠の人間的なほころびを見て、ちょうど慣れてきた時期と相まって、円楽師匠に親しみを感じるようになった。あの頃の師匠が人間として一番好きだったかもしれない。

さて、『六代目を偲ぶ会』は、東京・半蔵門にある国立演芸場で行われた。国立演芸場は最高裁判所の隣にある。司法の最高機関の隣に噺家という、正義といい加減が隣り合わせの立地が魅力の演芸場。実際に足を運んで驚いて欲しい。

この日の会は一門の芸人や色物(落語の合間に入る、漫才や音曲など落語以外の芸人)が順番に出る寄席形式で、途中に六代目を偲ぶ座談会があり、“トリ”と呼ばれる最後の出演者が、六代目と52年という長い年月を共に過ごした三遊亭好楽師匠。笑点のピンクとしておなじみ。六代目円楽師匠と好楽師匠は、入門時は師匠が異なるが、最初の師匠が亡くなった好楽師匠が同じ五代目円楽のお弟子になった。好楽師匠の方が兄弟子に当たる。

三遊亭好楽師匠 写真提供:国立演芸場

トリの好楽師匠が演芸場に入られた時、いつもより表情が重い気がした。私がよく見ていたのはもっと明るい師匠だった。偲ばなければという気持ちがそうさせるのか。噺家はお客様を楽しませるのが仕事だから、客前ではいつも明るく楽しくする、笑いを避ける“偲ぶ”要素を会に入れ込むのは実は難しい。師匠はもしかしたら何をやるかを考えているのかもしれない。この日は取材陣が多く、一通りの取材が終わったところで楽屋の好楽師匠に声を掛けた。落語の話、笑点の話は他の取材で十分話すだろうから、私は自分が一番好きだった円楽師匠の人間らしい面について聞こうと思った。

好楽師匠はとても大らかで、会うとこちらもゆるゆる和む人だ。私は番組に対して真摯に向き合っていた円楽師匠に会うと緊張したこと話すと、好楽師匠も「円楽は真面目で笑点のことを考えていた。ダメ出しするから、アタシはいい加減な方だから、いいんじゃない? と言うと“よくない!”と言い返された」と笑っていた。

思い切って「私はあまり緊張しなくなったのが錦糸町事件の時で、初めて人間的なほころびを見て心が開きやすくなりました。(好楽)師匠が円楽師匠の人間的な面を感じたのはどういう時ですか?」と聞いた。

好楽師匠はあの時は自分もからかって遊んだと笑い、「カプセルに粉薬を入れる時に、薬が少しはみ出るでしょ、それを円楽が指なめて集めて飲んでいたのを見た時、意外とケチだなと思ったよ。自分もやるけど。あと、朝が弱かった。若い時は2人で地方に仕事に行って起きて来ない時もあった。ゴルフを始めたりして早く起きるリズムをわざわざ作っていた。常に体を動かした方が楽という人だったね」と話した。円楽師匠は止まることができなくて長距離を泳いでしまう回遊魚のような人だったのかもしれない。「手先が器用で何でも作れる、大工仕事、料理、楽屋で師匠(五代目圓楽)にマッサージもしていた」と言う。

では、何でもできる円楽師匠の苦手なことは? と聞くと、「歌がひどい」。番組の打ち上げのカラオケでプロデューサーからマイクを勧めるなと耳打ちされたことをふと思い出した。「歌がひどいんだけど、水森英夫の『たった二年と二ヶ月で』を円楽がよく口ずさんでいて、この間近所のスナックでこの曲歌っていた時に曲の終わりで円楽を思い出して急に泣き出して、涙があふれて止まらなくなっちゃったの」と明かした。聞いただけで光景が思い浮かぶ。好楽師匠はお酒と歌が大好き。歌で蓋をしていた感情を呼び起こされて号泣している姿は好楽師匠らしいなと思った。

やきもち女将(左)、三遊亭好楽師匠(右)

「円楽は頭が良くて抜け目ないから、2人で台湾にゴルフに行った時に、アタシのショットがOBだったんだけど、キャディにチップあげていたもんだから操作してくれて、内側に入れてくれたの。それを打とうとすると、円楽が“そうじゃないだろ、打つな!”って。操作を見抜いてアタシを羽交い締めにしてね、殿中でござるみたいになったね」。キレ者の円楽師匠らしい。

「円楽を一度だけ殴ったことがある。生意気を言うなと言ってね、その場で唯一の直接の先輩だったから、殴れるのが自分しかいなかったの。でもあとで自分(円楽)の弟子に殴ってくれたことで場の空気が流れるようになった、兄さんのおかげだって話していたんだよね。当人も間違いに気づいたんだよ。そんなこともできる関係だったね」。 随分前だが修行時代の好楽師匠が楽屋で本当に嫌なことをされた時、何も言えなかったと言っていたのを聞いたことがある。嫌なことがあってもなかったことと思うようにする優しい人が殴ったのだから、自分が止めなければと言う強い思いがあってのことだったと思う。若い円楽師匠もそれを一瞬で理解して、好楽師匠を殴らせてしまった自分の間違いに気づいたのだろう。

『六代目圓楽を偲ぶ座談会』に続く

東京・秋葉原『落語 小料理やきもち』 やきもち女将

写真提供:国立演芸場

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