視覚障害者は靴紐を結べる?東京・パリ2大会連続で銀!パラ陸上・唐澤選手が明かす理解されない障害者のこと「皆さんが思っている以上に…」

2026.3.5 16:30

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唐澤剣也選手の写真

2025年12月13日(土)・14日(日)に群馬県・草津で開催された『湯けむりフォーラム2025』。14日(日)にパラスポーツ分科会が開催され、SUBARU陸上競技部の唐澤剣也選手と、SUBARU陸上競技部ガイドランナー・堀越翔人選手が登壇した。

唐澤選手は群馬県出身のパラアスリート。病気により10歳の頃に視力を失い、社会人になって本格的に競技をスタート。パラリンピックでは5000m・視覚障がいT11クラスに出場すると、東京・パリ2大会連続で銀メダルを獲得。2025年9月に行われたパラ陸上世界選手権5000mで2大会ぶりの金メダルを獲得した。

堀越翔人選手は群馬県出身、前橋育英高校から順天堂大学に進学し、箱根駅伝などに出場した経歴を持つ。2025年度からSUBARU陸上競技部に加入し、ガイドランナーを務めると、唐澤選手と二人三脚で世界の頂点に立った。

この日、両選手はスポーツ庁長官を務める河合純一氏、日本車椅子ソフトボール協会会長の髙山樹里氏らとともに登壇。フリーアナウンサーの久下真以子氏の進行で開催されたパラスポーツ分科会では、「パラスポーツを通じて描く地域の未来」をテーマにパラスポーツの現状や未来について、登壇者がそれぞれの立場から思いを語った。

◆「可能性が広がった」パラスポーツへの挑戦

2016年に開催されたブラジル・リオパラリンピックをきっかけに、世界の舞台で走ることを目標に競技を始めた唐澤選手。2022年にSUBARU陸上競技部に加入するまでは、群馬県内の点字図書館で市民ランナーとしてパラリンピックを目指していたという。2017年に愛媛で開催された全国障害者スポーツ大会(全スポ)に出場したことがあるという唐澤選手は、当時を振り返り「自分の中でレベルアップをする大会だった」と語る。

「一つ一つレベルアップしながら自分の限界に挑戦することができたなと感じています。パラスポーツに挑戦したことで、自分自身の可能性が広がったという感覚がありましたし、自分に自信が持てるようになったなと思います。」とパラスポーツに挑戦したことで感じた思いを語った。

また、日本で開催された東京パラリンピックを目指した理由の一つが「地元で開催されることだった」と言い、「今回の『湯けむり国スポ・全スポぐんま2029』も地元開催なので、たくさんの方に挑戦してほしい。自分自身も出てみたいと気持ちがあります。ぜひ若い子たちには地元で開催される大会を目指して、そこで活躍して、地元のたくさんの方にプレーを見てもらって、パラスポーツの魅力・楽しさを伝えていってほしいと思っています。」と話した。

唐澤剣也選手と堀越翔人選手らの写真

◆ガイドランナー…支える側の魅力とは

ガイドランナーを務める堀越選手も、パラスポーツが変わるきっかけになったと話す。「日本各地で世界大会が開催されているということで、障害の有無にかかわらず、様々な方がスポーツにチャレンジするきっかけがあると感じています。」

ガイドランナーをやってみて面白いところや難しいところを聞かれると、「もともとは個人で競技をやっていたので、そこから唐澤選手に全て合わせるような走り方に変更をしているので、最初は難しかった」と話す。「(唐澤選手に)合わせることで、自分の本来の走りができなくなるので、試行錯誤しながら唐澤選手に合わせるような形だったので最初は苦戦していました。ただ、唐澤選手と一緒に競技をやっていくことで、様々な世界大会に出場したり、大会で優勝したりとか、色々なうれしい思いや楽しい思いをさせてもらっているのも、魅力かなと思います。」と語った。

また、久下アナウンサーからパラスポーツの競技人口をどのように増やしていけばいいのかについて聞かれた唐澤選手は「パラスポーツは競技する人を増やさなければいけない、させてくれる人も増やさなければいけない、そして応援してくれる人も増やさなければいけない。どれ一つ欠けてもパラスポーツは成り立たないと思っています。」としたうえで、
「パラスポーツのアスリートの立場からすると、まず挑戦する気持ちを持つこと、パラスポーツの魅力・楽しさを感じて、やってみたいという気持ちになることだと思います。」と語った。

唐澤剣也選手らの写真
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