氷上でほどけた緊張と、繋がれたバトン――りくりゅう初プロデュース『THE DESTINY』が示した、カップル競技の新しい未来
2026年8月2日、千秋楽の熱気が冷めやらぬ東京辰巳アイスアリーナ。満員の観客が固唾を飲んで見つめるリンクの中央には、一人きりで舞うスケーターの姿はない。そこにいるのは、必ず「ふたり」だ。
7月31日から8月2日までの3日間、日本のフィギュアスケート史に間違いなく刻まれるであろう画期的な出来事があった。“りくりゅう”の愛称で日本中から親しまれる三浦璃来・木原龍一ペアが、初めて自らプロデュースを手掛けたアイスショー『THE DESTINY』の開催だ。3日間、全4公演のチケットはすべて完売、延べ1万8,000人の観客が来場。連日、満員のファンで会場の客席がぎっしりと埋め尽くされた。
今年2月に開催されたミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪(※以下、ミラノ・コルティナ五輪)。フィギュアスケート日本ペア史上初となる感動的な金メダルを獲得し、名実ともに世界の頂点へと昇りつめた2人は、現役生活に区切りをつけプロスケーターへと転向した。そんな彼らがプロとしての第一歩で世に送り出したのは、日本はおろか世界的に見てもきわめて異例となる「ペアとアイスダンス(カップル競技)のみ」で構成された特化型アイスショーだった。
日本のアイスショーシーンを振り返ると、その歴史はシングルスケーターのスタープレイヤーたちによって築かれてきたと言っても過言ではない。世界を制したシングルスケーターたちが、華やかなソロプログラムで個性を競い合うスタイルが主流であり、ペアやアイスダンスのカップルは「ショーのアクセント」や「特別ゲスト」として1組か2組が花を添える形式が一般的だった。しかし、彼らが創り上げたリンクにソロスケーターの枠は一つもない。リンクを彩るのは、国内外から集結した最高峰のペアとアイスダンスのカップルたちだけだ。
「パートナーとの出会いは、すべて運命(DESTINY)だった」
2人共通の想いが込められたこの言葉から名付けられたショーのタイトル『THE DESTINY』。そして公式発表でも掲げられた「アマチュア・プロを問わず未来へバトンを渡していく」というテーマの真意とは何だったのか。会場に集まった観客は、幕が上がってから下りるまでの約2時間半、単なる「豪華なショー」の枠を超えた深遠なドラマと熱量に、息を呑み続けることとなった。

空間の解放――計算し尽くされた「三次元の立体美」とエンターテインメント
『THE DESTINY』が従来のショーと決定的に異なっていたのは、演出やキャストの豪華さだけではない。最も画期的だったのは、その「氷上空間の圧倒的な使い方」にある。
シングルの演技が、リンクという「二次元の平面」を広々と使ってスピードと描線、そして高難度の単独ジャンプを描くものだとするならば、ペアやアイスダンスの演技は、縦横無尽なスピードに「高さ」と「二人だからこそ表現できる緻密な重なり」が加わる「三次元の立体美」だ。しかし、通常のアイスショーでは観客席をリンクのすぐ近くまで増設するため、競技用リンクよりも一回り小さいサイズでリンクが作られることが多い。さらに、演出面でも薄暗く幻想的なスポットライトを多用するため、時としてカップル競技特有の超高速な移動や、空高く放たれる技のスケール感が制限されてしまうという課題があった。

プロデューサーであるりくりゅうの二人は、この点に強烈なこだわりを持っていた。開幕直前のゲネプロ(7月30日)の取材で、木原はその意図を熱く明かしている。
「普通のアイスショーですと、試合とは違い一回り小さいリンクでショーをさせていただくのですが、カップル系の素晴らしさ、迫力を皆さまに感じていただきたかったので、競技用と同じサイズにさせていただいた」
その言葉通り、東京辰巳アイスアリーナに設営されたのは、国際規格に準拠した広大な競技用リンク。そして、アクロバティックな技の細部やスケーターたちの表情、エッジワークのスピード感まで余すことなく見渡せる「明るい照明」が採用された。その計算し尽くされた空間に解き放たれたカップルたちが描く放物線は、圧巻の一言に尽きた。
ミラノ・コルティナ五輪アイスダンス銀メダリストのマディソン・チョック&エヴァン・ベイツ組(米国)が魅せる、息を吸うことすら忘れるような艶やかなダンススパイラル。

ペア銀メダリストのアナスタシア・メテルキナ&ルカ・ベルラバ組(ジョージア)が見せる、天井に届かんばかりの迫力あるツイストリフト。

さらにはプロとして圧倒的な華やかさと表現力で観客を魅了する“かなだい”こと村元哉中&高橋大輔組ら、世界最高峰の面々が次々と氷を滑り抜けていく。

そしてりくりゅうと同じ木下グループの木下アカデミーに所属する、日本の次世代エースペアである、“ゆなすみ” こと長岡柚奈&森口澄士組。「6-MINUTE WARM-UP」という「6分間練習」を再現した企画では、難度の高い「グループ5 アクセルラッソーリフト」を綺麗に決めて大きな歓声を浴びた。

男性スケーターの手から女性スケーターが空へと放たれ、放物線を描いて氷上に降り立つスロージャンプ。二人が指先まで神経を通わせ、風を切るようなスピードでリンクを周回するデススパイラル。二人の呼吸がコンマ一秒の狂いもなく噛み合った瞬間、リンクには単一のスケーターでは絶対に生み出せない「倍音」のような強いエネルギーが巻き起こる。
さらに、観客の心を鷲掴みにしたのは緊張感あふれる世界最高峰の演技だけではない。 演出の第2幕では、木原の強い希望により実現した「氷上での野球対決」という前代未聞のコラボレーションナンバーが登場した。

ゲネプロ取材の折、三浦がその裏話を楽しそうに明かす一幕があった。
三浦:「一番最初に『僕は野球がやりたい』と言い出して。本人がすごくやりたくて実際に(氷上で)野球をするんです。それで、打つんだけど、走らなくてね…」
木原:「(慌てて)あんまり言うとネタバレになっちゃうから!(笑)」
三浦:「あ、ごめんなさい!じゃあお楽しみに!(笑)」
このお馴染みの微笑ましい掛け合いの通り、実際のショーではスケーターたちが氷上でバットを構え、ボールを追いかけるコミカルな演目が繰り広げられた。普段の張り詰めた競技会では決して見ることのできない、世界トップクラスのスケーターたちが魅せる弾けるような笑顔と楽し気なコラボレーションに、超満員の会場は弾けるような大歓声と笑い包まれたのだ。


歴史の転換点――日本におけるカップル競技の苦闘と「バトン渡しの物語」
この『THE DESTINY』というアイスショーが、単なる「五輪金メダリストの引退記念興行」という枠組みを遥かに超えていた最大の理由は、公式リリースでも明確に掲げられていた「アマチュア・プロを問わず未来へバトンを渡していく」という確固たる理念にあった。
時計の針を少し巻き戻してみたい。日本のフィギュアスケート界は、男子・女子のシングル競技において世界屈指の強豪国として君臨してきた。しかしその影で、ペアやアイスダンスといったカップル競技は、長年にわたり不遇の時代を過ごしてきた歴史がある。
シングルからカップル競技への転向を希望しても、日本国内では体格や技術の噛み合うパートナーを見つけること自体が極めて困難であること。さらに、二人で滑るための専門的な指導者や練習環境が不足しており、海外への長期留学を余儀なくされるケースが多いこと。そして何より、どれほど世界で戦う技術を磨いても、国内での認知度や露出が少なく、スポンサー獲得や活動資金の面で厳しい苦闘を強いられてきたこと――。
そうした過酷な現実と壁を、身をもって知っていたのが誰あろう三浦璃来と木原龍一だった。
木原はかつてシングル選手からペアへと転向後、怪我やパートナー解消という幾多の挫折を味わい、一時は現役引退を真剣に考えた時期があった。三浦もまた、前パートナーとの解消を経て、拠点を海外に移しながら暗闇の中を模索していた。そんな二人が2019年に出会い、「りくりゅう」という唯一無二のペアを結成。互いを奇跡のような「運命の相手」と信じ、カナダで血のにじむようなハードな練習を重ねた結果、世界選手権優勝、グランプリファイナル制覇、そしてミラノ・コルティナ五輪金メダルという、日本フィギュアスケート史の頂点を極めたのだった。

界の頂点に立ったからこそ、彼らには強く芽生えた使命感があった。自分たちの代でこの熱狂を終わらせてはならない。自分たちが切り拓いた道筋を、次の世代へと繋がなければならない、と。
だからこそ本公演には、世界のトッププロやメダリストだけでなく、日本のフィギュアスケートの未来を担う若いスケーターたちが数多くリンクに呼び寄せられた。ミラノ・コルティナ五輪団体銀メダリストの“うたまさ”こと吉田唄菜&森田真沙也(木下アカデミー)や、全日本選手権銀メダリストの櫛田育良&島田高志郎(木下アカデミー/木下グループ)。さらには、ミラノ・コルティナ五輪出場を果たし2026年世界選手権4位の“ゆなすみ”こと長岡柚奈&森口澄士(木下アカデミー)ら、日本フィギュアスケート界の現在と未来を支える若手カップルたちが一堂に会したのだ。


満員の観客から送られる大歓声、世界の第一線で活躍するトップスケーターたちの息遣い、そして巨大なアリーナのスポットライト。それらを若手選手たちが肌で感じ、同じリンクで技を競い合うこと。
その光景は、まさに「りくりゅうが幾多の苦難の末に切り拓いた荒野に、新しい芽が吹き、美しい花が開いた」瞬間でもあった。言葉ではなく、背中と環境で語りかけるバトン渡し。これこそが、座長である二人がこのショーに込めた最も深い願いだったのだ。

伝説の『グラディエーター』――歓喜と涙のフィナーレ
全4公演、約2時間半に及んだ夢のような時間の最高潮。大トリとして万感の拍手の中に姿を現したのは、もちろん主役である三浦璃来と木原龍一だった。彼らが千秋楽公演の氷上に残したのは、あのミラノ・コルティナ五輪でショートプログラム4位からの大逆転劇を演じ、日本中に大感動を巻き起こした伝説のフリープログラム、『グラディエーター』の特別版だった。重厚な旋律が館内に響き渡ると同時に、アリーナの空気は一変する。

プロ転向後、多忙を極めるスケジュールの合間を縫って追い込んできたという二人の動きには、現役時代さながらの切れ味と、プロとしての深みが宿っていた。木原の力強いスケーティングに導かれ、三浦が氷上を滑らかに滑走する。技が決まるたびに地鳴りのような手拍子が湧き起こり、三浦が空高く舞い上がる高難度のリフトでは、一転して息を呑むような静寂がリンクを包む。そして着氷と同時に、館内を揺らすほどの歓声が弾けた。過酷な練習、怪我との戦い、互いを信じ抜いた日々――。すべての想いが結集したラストポジションを決め、演技がフィニッシュを迎えた瞬間だった。

会場全体が割れんばかりの総立ちとなり、今までに聴いたこともないほどの盛大なスタンディングオベーションがリンクを埋め尽くした。その光景を目にした瞬間、三浦の瞳からこらえきれない涙が溢れ落ちた。氷の上で胸を押さえ、感極まって顔を覆う三浦。木原はそんな三浦の肩を優しく抱きよせ、満員の観客に向けて晴れやかな笑顔で深々と礼をした。
千秋楽後の取材エリア。氷上での涙の真相について問われた三浦は、当時の胸の内をこう振り返っている。
「(グラディエーターが終わった後の拍手が)アイスショーでは聞いたことがないくらい本当に大きくて……。滑り終わった瞬間、今までの大変だったことや、このショーをみんなで作り上げてこられた安心感が一気に溢れてきて、気づいたら涙が止まらなくなっていました」
プロデュースという慣れない重責、そしてショーを成功させなければならないというプレッシャー。三浦は笑いを交えながら、過酷だった舞台裏の練習の日々についても明かしてくれた。
「引退したはずなのに、現役の時と同じかそれ以上に毎日ハードな練習をしていて(笑)。周りからも『本当に引退したんだよね?』って言われるくらいの生活でしたが、この最高な景色を見られて、頑張ってきて本当に良かったです」
一方、座長として前例のない「カップル競技特化型」という大プロジェクトを力強く牽引してきた木原も、ホッとした表情で安堵の言葉を口にした。
「本当にホッとしています。最初は誰もやったことがないショーということで、お客さんに受け入れてもらえるか不安もありましたが、チケットも完売して、これだけたくさんの方に足を運んでいただけて胸がいっぱいです」
そして、隣で大粒の涙を流していたパートナーの三浦の姿について話を振られると、木原らしい温かさと信頼に満ちた言葉が返ってきた。
「(三浦さんの涙を見て)僕もウルっときそうになりましたが、座長が2人とも大号泣するわけにはいかないなと耐えました(笑)。でも、璃来がそれだけこのショーに懸けて全力で走ってきた証拠だと思うので、隣で見ていて僕も感慨深かったです」

氷を降りても、彼らの「運命」は続いていく
公演を終えた会場の物販コーナーや客席は、深みのあるネイビーに2人の力強いリフトシーンと幻想的な星々が描かれた公式のメインビジュアルTシャツを着たファンたちの温かい笑顔で埋め尽くされていた。フロントに描かれたそのシルエットが物語っていたのは、“運命的な出会い”と“共に歩むパートナーシップ”という、このショーの核となるメッセージそのものである。
『THE DESTINY』――運命。
あの日、偶然に出会い、互いの手を握り締めた2人の運命は、五輪金メダルという頂点を極め、アマチュア競技を引退したことで終わったわけではない。前例のない挑戦にプレッシャーを感じながらも、現役時代以上のハードな練習を重ねて作り上げた最高の舞台。一人では決して辿り着けなかった景色を、パートナーとともに引き寄せ、今度はその景色をファンや次の世代へと分かち合っていくこと。
りくりゅうが開いた「カップル競技専門のアイスショー」という新たな扉は、日本のフィギュアスケート史において、間違いなく歴史的な1ページとなった。彼らが氷上で魅せてくれたのは、技の難しさや見た目の華やかさだけではない。「誰かと出会い、共に生き、信じ合って高め合うことの尊さ」そのものだったのだ。氷を降りた二人の新しい物語(DESTINY)は、ここからまた、未来へ向かって力強く続いていく。

写真:©THE DESTINY
文:entax編集部