ちばてつや 野沢雅子 松本零士さん死去でせつない追悼コメント続々

2023.2.20 18:30

2月13日午前11時0分、急性心不全の為、都内病院にて逝去した松本零士さん。享年85。
親しかった仲間から追悼のコメントが届いた。

松本零士さん

60年来の付き合いだった、ちばてつやからコメントが届いた

松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。
ワシもデビューした翌年の18歳。同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。
二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。
松本さんはよく「座布団のようなビフテキを食べたい!」なんて言いながらマンガを描いていました。
二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。
当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。

忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。
その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。
コロナ禍もあってしばらく会う機会もなく、ぼんやりと心配はしていたのですがまさか・・・言葉もありません。

ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。
もう・・・体中の力が抜けていくよ。

ちばてつや

そして、銀河鉄道999の思い出を野沢雅子が語った

野沢雅子

松本先生とは『銀河鉄道999』の全国縦断イベントで本当にいろいろなところにご一緒させて頂きました。
気さくでお話が上手、山口では車掌さんの制服を着てとても喜んでいらっしゃったお姿を昨日のことのように思い出します。
劇場版を録る時にはスタジオにいらして下さって、いいですね〜と仰って下さるので私たちもとても演りやすくて…、優しい方でした。
お会いするといつも「そのうち999で何かやりましょうね」と仰られていて、またご一緒出来るのを楽しみにしていたのですが、叶わなくなってしまい寂しい気持ちでいっぱいです。
既に車掌さんが999号で待ってると思いますので、どうか一緒に楽しい旅を続けてください。

野沢雅子

ご冥福をお祈りします。

【松本零士さんプロフィール】
1938年1月25日生まれ、福岡県久留米市出身。
6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(『新寶島』『月世界紳士』いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始める。
15歳の時に投稿作『蜜蜂の冒険』が「漫画少年」にて受賞掲載され、これが商業誌デビューとなる。
実質的な漫画家デビューは1957年「少女」掲載の『黒い花びら』。しばらくは少女漫画誌での執筆が続く。
1968年代に入り青年漫画誌が誕生し始めたころ「漫画ゴラク」に『セクサロイド』を発表。
以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍するようになった。
代表作:『男おいどん』『ガンフロンティア』『宇宙戦艦ヤマト』『クイーンエメラルダス』『ザ・コックピットシリーズ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』『新竹取物語1000年女王』ほか。

<受賞・受章歴>
1972年 『男おいどん』にて第3回講談社出版文化賞児童漫画部門賞
1975年 『宇宙戦艦ヤマト』にて星雲賞
1978年 『銀河鉄道999』『戦場漫画シリーズ』にて第23回小学館漫画賞
同年   “一連のSFシリーズ” ”にて第7回日本漫画家協会特別賞
1990年 『V2(ツイン)パンツァー』にて星雲賞
2001年 紫綬褒章受章
2008年 練馬区名誉区民
2010年 旭日小綬章受章
2012年 フランス芸術文化勲章 シュバリエ受章

画像提供:(C)松本零士/零時社

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