スポーツ庁創設10周年──アスリートたちが語った「10年のレガシー」と「これからの夢」
3月25日、スポーツ庁創設10周年を記念するイベントが開かれた。スポーツ庁は2015年10月1日に発足。10年半の歩みを振り返るとともに、次の10年を見据える場として開催された記念行事では、まず河合純一スポーツ庁長官が開会の挨拶に立った。「我々スポーツ庁は各省庁、スポーツ団体、地方自治体等を結び付けながら、我が国のスポーツ行政を牽引するという役割を担ってまいりました」。そう振り返った河合長官は、「10年のレガシーを未来の力へ」というテーマでこれからの10年の方向性を共有できる時間になればと期待を語った。
10周年記念動画の上映後、トークセッションがスタート。ファシリテーターは元NHKエグゼクティブアナウンサーの山本浩。登壇したのは、フリースタイルスキー・モーグルの堀島行真、パラトライアスロン・パラ陸上の谷真海、元体操日本代表の田中理恵、デフ陸上の山田真樹、そして河合長官の5人。バックグラウンドの異なるアスリートたちが、国際大会の経験、子どもとスポーツ、女性アスリートの課題、障害者スポーツの現状と未来について、それぞれの言葉で語っていく。
最初の話題は、直近のミラノ・コルティナ冬季オリンピックだ。堀島はメダルを獲得して帰国したばかり。今大会はミラノ、コルティナなど5つの拠点に分散して開催され、開会式も4か所で行われるという異例の形式だった。「過去2大会出たんですけど、また違った感覚になったオリンピックになりました」と堀島。サポート体制については「限られた人数の中でもサポートが少なくならないよう工夫がされていて、よりコンパクトに食事へのアクセスがよかったり、会場への距離が近かったり、良かったのかなと思います」と振り返った。

話はコロナ禍で無観客となった東京2020大会へと移る。谷はパラリンピックを自国開催で迎えた経験について、「招致活動に携わったからこそ悔いのない状態でその場に立ちたいと思った。自国開催じゃなかったら出産と競技を並行して目指すということはなかったように思う。自分としてはチャレンジが続いてできたのは自国開催のおかげ」と語った。一方で無観客の無念さにも触れ、「2025年の世界陸上と山田さんが出場したデフリンピックで、東京大会で見たかった景色をやっと感じられた」と、観客のいる大会の力を実感したことを明かした。
田中は東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会理事としての経験から、「選手時代には分からなかったけれど、こんなにサポートしてくれる方々がいるんだと知った」と、大会を支える裏方の存在に光を当てた。画面越しでも娘たちが「すごいね、きらきらしてる」と言ってくれたことに触れ、「これが会場で見れたときには、子どもたちの中で本物の素晴らしさや応援の大切さを知ることもできたはず」と、子どもたちがスポーツに触れる機会の重要性を語った。
山田は東京2025デフリンピックを振り返った。デフリンピック100周年という節目に日本で初めて開催された大会だ。パラリンピックとの違いを知らない人が多いなかで、山田たちが考案した応援方法が「サインエール」だった。手話での応援の形である。「サインエールは確かに我々選手の大きな力になりました。応援の力を改めて感じる機会にもなりました」。自身がポスターのモデルに選ばれたことで全国各地にデフリンピックの存在が届き、「それまでは福祉だけの面でしたが、デフリンピックによって(理解が広まる)大きな効果を得られた」と手応えを語った。

河合長官は一連の大規模国際大会のレガシーについて、「建物を作ったとか、見に行った経験というだけでなく、出た選手、アスリート、スタッフ、コーチ、ボランティア、観戦した人たちの心に残る。人こそがレガシーだと思っている」と言い切った。今年は愛知・名古屋でアジア大会・アジアパラ大会が控えていることにも触れ、「生で見ていただける機会をしっかり作っていくことが改めて重要だ」と力を込めた。
トークは子どもとスポーツの問題へ。河合長官は中学校の部活動改革を「今1番大きな課題」と位置づけた。「チームスポーツをやるときに、その人数が集まらない。バレーボールやバスケットボールすら5人、6人もいない中で、放課後2人、3人でやっている学校が増えている」。少子化と教員の働き方改革が重なるなかで、「それぞれの地域でスポーツを選んで子どもたちが持続できる形をどうやって残せるのか。今チャレンジをする転換点にある」と述べ、2026年4月から始まる6年間の改革実行期間に意欲を示した。同時に「トップアスリートの育成だけが主眼ではまったくない。スポーツの充実感や楽しさを感じた子どもたちが大人になっても、心と体と向き合うツールとしてスポーツを活用し続けてほしい」という理念を重ねた。

堀島は地元・岐阜県の高校にスキー部があり、自転車で40分かけて通った経験を語った。「3年間トレーニングを続けて信頼関係を構築できた。体を動かす以外の、挨拶や姿勢といった側面も指導いただいた」。現在はノルウェーに拠点を置く堀島は、同国のスポーツ政策にも触れた。「ノルウェーでは12歳まで全国大会を開催せず、大会があっても順位を付けない。勝ち負けとは別の、走ることが好きなら走るという本質の楽しさを伸ばそうとしている」。ただし「いい側面も悪い側面もある」とも付け加え、「日本の中で蓄積していくものが大切。その結果として世界のトップに立てる国になれたらうれしい」と語った。谷は自身の子ども時代のスポーツ経験が、大学2年からの義足使用開始後もスポーツを続ける力になったことを明かし、「レジリエンス、生きていく力みたいなものがスポーツを通して育まれた」と表現した。自身の10歳と3歳の子どもにも「1つに絞るんじゃなく、好きなスポーツの軸はありつつも複数のスポーツを経験させている」という。

「実は小学生の頃は足が遅かった」と明かす山田に驚きの声が上がったり、マルチスポーツに取り組み高飛び込みや器械体操にも取り組んだと語る堀島に「日本体操連盟にご登録いただいて…」と進行の山本が笑いを誘う一幕も。
女性アスリートの妊娠・出産に関する課題も大きなテーマとなった。河合長官は「女性のスポーツ実施率が低下傾向にある。中高生の段階でまずスポーツ離れが来て、社会人になりさらに時間が取れなくなっている」と現状を伝えた。谷は「10年前の長男のときはJISS(国立スポーツ科学センター)でのサポートはなかったが、この10年で希望すれば情報やサポートを受けられるようになった。選択肢として大きな変化」と語り、JPC(日本パラリンピック委員会)が導入した産後2年間の「強化指定保留」制度についても「すばらしいこと」と高く評価した。
同じく2児を育てている田中は「本当に時間がないんですよ!」と実感を明かし「出産後にアスリートとしての生き方を目指す選手をすごくリスペクトする。私自身が子どもを産んだときに、このあとまた体操選手としての体作りをするのかと思うとすごい覚悟がいるなと。サポートしてくれる環境がもっと増えれば、女性アスリートがたくさん輝ける」と率直に語った。

障害者スポーツの実施率は「スポーツ庁ができて10年の間に1.5倍ぐらいまで上がってきたが、障害のない方々に比べるとまだまだ」。長官は官民連携のコンソーシアムを通じた取り組みを進めていることを明かした。山田は、聞こえない子どもたちがスポーツクラブに申し込んでも断られるケースがある現実を訴え、「とても悲しい現状がある。そこを解決していきたい」と力を込めた。
更にデフリンピックを通じた国際交流のエピソードも。トルコ大会で仲良くなったウクライナの選手が戦争で大変な状況に置かれ、次のブラジル大会に参加できるか心配だったという。山田はクラウドファンディングで支援を行い、結果としてブラジルで再会することができた。「スポーツを通して世界大会で選手同士がコミュニケーションを取れる。その先にある国の文化を知り、自分の視野を広げる機会になる。そういったことを子どもたちに伝えたい」と語った。

セッション終盤、登壇者一人ひとりが色紙に記したメッセージも紹介された。河合長官が記したのは「夢」。「スポーツって楽しいと信じてるし、笑顔にしていけるものだと思っている。そうなったらきっとみんなが幸せになっていく。そんな社会を作るために、スポーツ庁で職員の皆さんと一緒に何ができるのかを常に考えて、できることからやる。一緒に夢、叶えましょう」。

